年末に立憲民主党の防災に関心を持つ同僚有志議員と、防災先進国と言われるイタリアへ視察に行ってきました。
そのご報告をさせて頂きます。
視察では、まずローマ郊外にあるイタリアの防災機関、「市民保護省」を訪れました。
イタリアの防災システムの歴史や特徴についてレクチャーを受けました。
その後、施設内を見学。
驚いたのは、市民保護省内にボランティア団体(NPO/NGO)の部屋があり、40団体ほどが詰めている事。
そして、災害時に行われる関係省庁との連携調整会議にも、常設の席が用意され、はじめからボランティア団体が参加、被災者支援のための方策が練られている事。
防災行政機関とNPO/NGOボランティア団体の連携の深さを読み取ることができました。
次にアドリア海沿岸のシルヴィ市を訪れ、シルヴィ市の防災機関、市民安全局を見学。
シルヴィ市に拠点を置くイタリア最大のボランティア団体ANPASの代表及びシルヴィ市長から、シルヴィ市の災害支援の現状について説明を受けました。
NPOであるANPAS公共支援協会の所属ボランティアは、イタリア全地域で約10万人、年間予算は1570億円と聞いてびっくりしました。
その晩は、2009年に大きな地震に見舞われ今も復興中のラクイラ市まで移動して宿泊。
ラクイラは歴史ある美しい街ですが、まだ至る所で復興工事中でした。
遅い夕食で食べた本場イタリアのピザは美味しかった!
私はほとんど飲めませんが、ワインはどれも10ユーロ(約1250円)くらいでした。
翌日、アプロッゾ州の州庁舎内にある市民安全局を訪問。
州議会議員で防災担当評議員を務める、マリオ・マッツォカ氏と意見交換。
彼は雄弁で日本の災害予測能力を褒めてくれました。
一方、防災で最も重要な事として、連携調整と情報伝達を挙げていました。
国・州・市町村とボランティア団体が速やかに情報共有し、支援漏れのない競争的な連携調整を期待しているようです。
さらに、仮設住宅と復興公営住宅を見学。
ピッツォリの仮設住宅
ラクイラの復興公営住宅
復興公営住宅では地元の方のご厚意で住宅内を拝見し、かつ、ラクイラ市議のフランチェスコ氏とも意見交換できました。
イタリアの仮設住宅や復興公営住宅での被災者の暮らしは、日本と大きな差は感じられませんでした。
日本がイタリアに学ぶべき災害対応の最大の課題は、発災直後の「雑魚寝が当たり前の避難所生活」にあると感じました。
さらに、私は単独行動でベネチアまで足を伸ばし、以前より関心を寄せていた可動式の防潮堤、フラップゲイトによる「モーゼ計画」を視察しました。
日本と同じくらい災害が多い国、イタリア。
先進国の中でも最も進んだ災害対応システムを整備していると言われている、防災先進国イタリアの防災システムがどのようなものなのか視察してきました。
イタリアの防災システムを担うのは、国・州・市町村にそれぞれ設置された防災機関である、「市民保護省または市民安全局」です。
イタリアでは第一次・第二次世界大戦の反省から、国民の権利を制約する中央集権的な防災システムの設計には慎重でした。
紆余曲折を経て1982年に作られたのが、関連機関や団体の連携調整を主任務として災害監視・災害対応などを担う防災独立機関の設置です。国で言えば、首相をトップとする市民保護省になります。
災害時にはすべての省庁が、市民保護省の下に配置されます。
また、災害対応に関する法律はすべて市民保護省の下にまとめられました。
ローマ郊外にある市民保護省の職員数は兼務なしの約700名の精鋭部隊です。
地震等が発生すると、彼等は35分以内に本部へ参集します。
イタリアの災害対応システムで特徴的なものは、市民保護省と対(つい)を成す形で位置づけられたボランティア団体(NPO/NGO)の存在です。
イタリア全地域の全ボランティア団体の登録者数は約80万人。
彼等は個人ボランティアというよりは、例えば、料理人や電気工事技術者などのスペシャリスト集団です。
ひとたび災害が発生すると、市民保護省(国)や市民安全局(州・市町村)からの要請を受けて、NPO/NGO団体を通じて、登録されたボランティアへの出動の要請が届きます。
被災地への派遣は原則1日〜1週間以内。
彼等は通常自分の仕事に就いていますが、派遣許可は法律によって雇用主に義務付けられています。
市民保護省や市民安全局、そして、ボランティア団体を支えるさらに二つの要素が、「科学技術研究所」と「備蓄」です。
市民保護省等は、「科学技術研究所」を通して、事前・事後の専門家のアドバイスを受けて災害対応にあたります。
また、「備蓄」に関しては、イタリア全地域に7ヶ所以上の大規模な倉庫があり、テントや簡易ベッドやトイレ&シャワーユニットに水・食料・毛布などが収められ、災害時にはすぐに運び出されます。
今回のイタリア視察を通じた私の気づきは、以下の三点です。
- 日本にも防災・復興省は必要。その主業務は、県や市町村との防災の「たて連携」と、NPO/NGOボランティア団体や科学技術研究機関等との「よこ連携」の調整を担う事。
- 本の防災がイタリアと比べて明らかに遅れているのは、発災直後から8ヶ月位までの「避難所における災害支援」。最低限守られるべき支援の国際基準であるスフィア・スタンダードやCHSなどの水準にも達していない。災害大国であり先進国でもある日本は根本的な発想の転換が必要。スフィア基準等よりさらに高い目標を掲げ、プライバシー保護やジェンダー平等などへの配慮に努め、具体的には温かい食事、家族テント、簡易ベッドやトイレ&シャワールームの提供など、備蓄強化に加えソフトとハードの両面からの改革を進めたい。
- 国・都道府県・市町村とNPO/NGOボランティア団体との連携強化は、日本の防災力向上の最重要課題。我が国にも、熊本地震や西日本豪雨で実績を積み重ねたJVOAD(全国災害ボランティア支援団体ネットワーク)という組織がある。予算・人員確保に配慮しつつ、JVOAD活用を加速させたい。
イタリアには、水没の危機にあるサンマルコ広場をはじめとする、ベネチアの文化遺産を高潮被害から守る事を目的とした壮大な計画があります。
その名は「モーゼ計画」。
「modulo sperimentale elleromeccanico(電気機械実験モジュール/ユニット)」の頭文字を取ってモーゼ計画としたそうです。もちろん、旧約聖書に登場するモーゼが海を真っ二つに割って海水を堰き止め、民(たみ)を救った話にちなんでいる事は言うまでもありません。
2003年に着手されたこの工事がいよいよ完成間近と聞き、私はどうしてもこの目で確かめたくなりました。
水上タクシーを使って、苦労の末に「モーゼ計画インフォメーション・センター」へ。
たどり着くと、案内役のエレナ・ザンバルディ部長等スタッフが温かく迎えてくれました。
日本の国会議員の訪問は初めてだそうです。
モーゼ計画は一言で言えば、海底設置型フラップゲート式可動防潮堤です。
気候変動の影響もあり、ベネチアの街は2〜3年に一度くらい高潮で水没してしまいます。
2008年には、156cmの高潮でベネチアの街の70%が水没しました。
モーゼ計画は、
- ベネチア湾を囲むよう三箇所に海底設置型のフラップゲート式可動防潮堤を設置、
- 高潮時にはフラップゲートを上下させて、ベネチアの街への海水侵入を抑制、
- フラップゲートの可動にあたっては、干潟や湿地などの生態系に充分配慮する、というものです。
私はこのモーゼ計画の進捗状況を実際に視察し、多くのことを感じました。
- 完成までに時間がかかり過ぎている。2003年に工事が着手されたが、当初の完成予定は2012年。それが2018年に延長され、今では2022年を目指すと言う。
- 予算も高額過ぎる。当初の予算が3000億円。これでも莫大な費用だが、汚職事件なども絡み現時点では7300億円に膨れ上がり、さらに、総事業費は1兆円を突破する可能性も。別に年間維持管理費が約20億円。あまりに高額過ぎる。
(ちなみに、日立造船が岩手県大船渡市に設置予定の同型のフラップゲート総事業費は、規模が違うものの、約25億円。堺工場も視察したが、コスト管理にも力を入れていた。) - モーゼ計画では、これだけの資金と時間を注ぎ込んでも、高潮対策と環境保護の両立は難しい見込み
- たとえフラップゲートが上手く稼働しても、生態系に充分配慮した運用計画(110cm以上の高潮で可動)を厳格に実行すると(80cmで浸水してしまう)サンマルコ広場を含む低地域帯での浸水を完全に防ぐことはできない。
それでも尚、私は、モーゼ計画の意義はあったと感じています。
それは皮肉ではなしに、モーゼ計画が多額の資金と多大な時間をかけて、様々な課題と戦い、思考錯誤を繰り返した、壮大な実験だったからです。
モーゼ計画からの学びは大きいと思います。
モーゼ計画を日本の多くの企業や研究機関が視察に訪れた理由は、その目的と認識でした。
日本においては、防潮重厚長大型の防災減災計画ではなしに、発想の転換により、簡易で、安価で、短時間で実現でき、かつ維持可能なスマート・イノベーションに力を注ぎ開発を進めるべきだと考えます。
モーゼ計画の全体像はこちらの動画でご覧いただけます。(出典: https://www.mosevenezia.eu/?lang=en)