ご挨拶

こんにちは。立憲民主党 東京都第11区(板橋区) 総支部長のあくつ幸彦です。

私は、東日本大震災、熊本地震、西日本豪雨などの災害からの復旧・復興や被災地支援を通じて、「いのちと暮らしを守る」防災・減災の活動を続けてきました。

また、コロナ禍においては、新型コロナウイルス感染症拡大に伴う「持続化給付金」の給付遅れ問題などに取り組み、事業の縮小を余儀なくされた方、職を失った方などの悲痛な叫びを数多く聞きました。この問題は、野党共同会派で中小企業庁に改善を要求するとともに、党の政調会長代理として政務調査会を通じ与野党協議を重ね、誰ひとり取り残さない給付につなげてきました。

阿久津幸彦が街で板橋区民の方とお話ししている様子

このコロナ禍は災害と言っても過言ではありませんでした。災害はひとたび発生すれば、高齢者や障がいを持つ方、子ども、女性など、弱い立場の方々に最も過酷に襲いかかります。

だからこそ、災害という非日常への備えだけではなく、「普段の暮らし」という日常のなかで、貧困をはじめさまざまなハンディに政治が着目し、解決していかなければなりません。

東京都立北園高校出身(27期生)で、高校時代を板橋区で過ごしました。私が在学していた頃から高校の校舎も建て替わり、高校周辺の環境も変わりましたが、庶民的な板橋の商店街や人情味あふれる街並みが大好きです。

現在は板橋区中板橋に住んでおり、事務所は大山にあります。どうぞお気軽にお立ち寄りください。

阿久津幸彦の写真です。背景は大山駅近くです。

あくつ幸彦のあゆみ

  • 1956年(昭和31年)6月26日 東京都文京区に生まれる。
  • お茶の水女子大学附属小・中に進学。小学4年生の時、米ケネディ大統領の伝記を読み「弱い立場の人々を助ける仕事がしたい!」と政治家を志す。

  • 1972年 東京都立北園高等学校に進学。
  • 1975年 都立北園高校を卒業後、米国ジョージ・ワシントン大学に進学。同大学院を修了(国際政治学)。

  • 1984年 石原慎太郎氏(当時衆議院議員)の秘書となる。政策担当秘書や公設第一秘書も務め、以降約10年間石原氏の元で政治を学ぶ。
  • 1991年 阿久津と同小学校出身の、薬剤師の女性と結婚する。
  • 1992年 第一子となる長女を授かる。

  • 1993年 東京都議会議員選挙に無所属で立候補するも落選。その後、新党さきがけに入党。菅直人氏の誘いにより約2年間政策調査会室で勤務。
  • 1996年 旧民主党結党に参加。第41回衆議院議員総選挙で東京24区から出馬するも、落選。

  • 2000年 第42回衆議院議員総選挙で初当選。官製談合防止法の提出、あっせん利得処罰法、踏切道改良促進法の改正案などの成立に携わる。
  • 2003年 第43回衆議院議員総選挙で2選。民主党「次の内閣」国土交通副大臣として、各自治体の公契約条例の元となる「公共工事の品質確保法」を議員立法で提出、成立させる。
  • 2005年 第44回衆議院議員総選挙で落選。

  • 2009年 第45回衆議院議員総選挙で3選。民主党副幹事長を務めたのち、民主党東京都連幹事長に就任。
  • 2010年 菅直人内閣で内閣総理大臣補佐官(中小企業対策・地域活性化対策担当)に就任。「硫黄島における遺骨帰還のための特命チーム」のチームリーダーとして、アメリカ国立公文書記録管理局を訪問し、硫黄島飛行場西・摺鉢山(すりばちやま)付近に日本兵の集合埋葬地があることなどの記録を確認。後に大規模な集団埋葬地を発見することに成功。『硫黄島 友軍ハ地下ニ在リ』酒井 聡平著
  • その後内閣府大臣政務官(国家戦略・防災担当)に就任。
  • 2011年6月 内閣府大臣政務官の担当分野に東日本大震災の復興担当が加わる。

  • 2012年、2014年 第46・47回衆議院議員総選挙で落選。
  • 2014年 「東日本大震災の経験を無駄にしてはいけない」という思いのもと、国内外の自然災害や紛争地域及び途上国における援助活動を行う認定NPO法人 ジャパン・プラットフォームに参画。
  • 2015年 国内事業部長 兼 東北事務所長に就任。被災3県の民間支援の連携調整やNPO向け助成「共に生きるファンド」を統括。

  • 2017年 第48回衆議院議員総選挙で当選(比例東北ブロック・立憲民主党)。外務委員会筆頭理事・東日本大震災復興特別委員等を務める。
  • 2020年 立憲民主党 外務部会長・役員室長代理等を歴任。
  • 2021年 第48回衆議院議員総選挙で惜敗。

  • 現在 立憲民主党東京都第11区総支部長を務める。中板橋在住。妻と娘の3人家族。