東日本大震災の時の反省点

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【広報】#岩永きりん 東日本大震災の時の反省点

今日は広報政策担当の #岩永きりん 区議から #東日本大震災 について、特に「反省点」のインタビューを受けました。その時はうまく思い出せなかった事が今一挙に溢れてきました。

それは町村合併の弊害。石巻市の地域代表者(業界団体の「親分衆」)に状況を聞くと「こちらは大丈夫だから他の地域を助けてやって欲しい」という寛容な答え。隣りの #東松島市阿部秀保市長(当時)からは深刻な状況が克明に報告されていたのに「おかしいな」と思って調べてみると、彼らの言う「石巻市」の中には合併した離れた半島にある「雄勝町」は入っていなかった。雄勝町には自然の水はあったが食料不足は深刻でお寺に身を寄せて生き延びていた。間一髪のところだった。

当時、私は東日本大震災「政府現地対策本部」の本部長代行で #内閣府大臣政務官 として事実上の統括責任者をしていたが、背筋が寒くなる様な大きな反省点である。
この話には後日談がある。それから五日間程して、また、雄勝町で「食料が足りない」という情報が入った。つい先日、十分に供給したから「そんな筈ない」と思ったが、私の判断で念の為、早朝自衛隊機を飛ばして食料を投下した。これは正解だった。皆で助け合って生きる地域ゆえに、普段からあまり協力的でない住民には食料が行き渡ってなかったのだ。これも都会育ちの私には分からなかった反省点だ。

当時、自衛隊側の責任者は「渡哲也さんの様な」ダンディーな隊長だった。名前を失念してしまったが、東松島の阿部市長と共に、命の恩人である。

#まっとうな政治
#衆院東京11区 #板橋区
#あくつ幸彦 #阿久津幸彦

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