昨日は「終戦記念日」 母の言葉

あくつの考え

終戦記念日 母の言葉
私の母は昭和10年生まれの89歳。山梨県に疎開して10歳で終戦を迎えた。当時、山梨の食料事情は相当に厳しかったらしい。学校の先生がこっそり白米を届けてくれた時、母は兄と夢中で塩だけかけて白米を貪る様に食べたという。おひつが空になって我に帰ると姉を含め大人たちは誰も白米に手をつけていなかったそうだ。
食いしん坊な母は「戦争が終わった」と聞いた時、「もう、ひもじい思いをしなくて済む」と少し嬉しかったという。そんな母の口癖は「幸彦、戦争だけはやめておくれ」。また、二年程前までは「最近、日本が何かキナ臭くなってきた」と語っていた。
そんな母も今は癌の末期で食べるのも二口、三口がやっとになってしまったのは寂しい限りだ。ちなみに東京下町育ちの母は疎開先だった山梨が大好きでちょっと前までは「山梨の人は皆いい人で良くしてもらった」と繰り返していた。「苦しい中何とか生き抜けた」という感謝の気持ちなのだと思う。

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